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Athens OHIOにある中古レコードやさんのことをサーチしてみたら、残念ながら6年前の2017年に閉店したことを知った。でも、1976年当時知らなかったことをいろいろと教えてくれた。

AthensOhioにある公共ラジオ放送局が閉店を報じたニュース(ぜひ、GOOGLE翻訳で読んでみてください)

ブログで書いたアパートのすぐ近くにあった中古レコードやさんHaffa’sの話。僕はこのレコードやさんができた翌年の1976年から2年半の間、500枚ほどの中古レコードを買い求めた。記事にあるテリーヒギンズ氏にもいろいろと教えてもらい大変お世話になった。記事に掲出されている当時の写真、特に「今日はどんなレコードが入ってきているんだろう?」とわくわくドキドキしながら降りた階段には、思わずワォーっと叫んでしまった。ヒギンズさんは1982年にAthensを去るが、その後35年も同じ場所にHaffa’sがあったなんて。Haffa’s、、できれば、もう一度訪れてみたかった、、、。

買い求めたときのシールがまだ残っているレコードはないかと探してみたら、あった。Nielsonの “AERIAL PANDEMONIUM BALLET “

ジャケットの右上にまだ貼られていたシール。殆どの中古レコードが1ドル95セントで売られていた。当時の為替で500円くらいの値段、、ちょっと古いカットアウト版は99セント、とにかく安かった。

OHIOでのお話

これまで何回引っ越しをしただろう? 

生まれてから初めて親元を離れ、一人で生活を始めたのは1976年3月のことだった。秀でた知識や技能もなく、なんと英語もまったく話せず、さらに無謀にもジャーナリストになるための勉強に向かった場所は、アメリカのオハイオ州のかた田舎だった。

最初は留学生がいっぱいいる寮に入ったが、もう少し気ままに生活したくてキャンパスから少し離れた学生向けのサービスアパートメントに移り、約2年ほどお世話になった。キャンパスには遠かったが、アップタウンと呼ばれていた繁華街には近かった。目と鼻の先に中古のレコード屋さんがあり、毎日のように入り浸っていた。

この頃、プリッツルとビール(Stroh’s)で、けっこう太ってしまったことを覚えている。授業についていけず、テープレコーダーを教室に持ち込んで録音、部屋で聴き返すも教授の英語が聞き取れなかった。最近作ったアンビエントのアルバムのなかで、日本に持ち帰ったこのころのテープの一部を効果音として使った。
SONYのカセットデンスケTC-2890SDを見て、いろいろと思い出した。僕はこのテープレコーダーを日本から担いで持ちこんだ。同じフロアーに住んでいる黒人の学生がこのSONYの音のよさにびっくりしていた。聴いていたのは、日本から送ってもらった山下達郎のCircus Townのダビングテープで、その黒人はノリノリに踊っていた。ぜひ、このテープを譲ってくれと懇願されたが、どうしたかは忘れた。              立てかけてあるレコードは、Terence Boylanのアサイラムからのセカンドアルバム(こんなの聴いていたんだ)
ベッドの近くにターンテーブルが置いてある。当時、あまりお金がなかったので、Walgreensというスーパーで買ったものだ。これが結構いい音で再生してくれたが、針圧が重くて、レコードが傷だらけになったっけ。でも、もともと中古なんで、まっ、いいかぁ!ということで活躍してくれた。
1978年12月に日本に戻るべくここを引きはらう。鍵を渡す最後の日に撮影したもの。思い出してみるとAthensは歴史ある町だった。私もごくごく一部に刻んでもらった。

Thanks for “The Fanbikes”

高校の3年間、大学の4年間、アメリカでの2年半、新入社員としての1年、僕の70年代はとても濃い 10年だった。

2023-10-10

Monkees

ナポレオンソロのことを考えていたら、同時期に人気だったテレビシリーズのことを思い出した。モンキーズMonkeesは、1968年10月ごろ来日し東京と大阪あと京都でコンサートを行なっている。僕が15歳中学3年の2学期が始まったころだ。どうしても思い出せないのは、「僕は武道館のコンサートに行ったのだろうか」ということだ。生で見た覚えもあるし、いや、行ってない、と、どうも記憶が曖昧だ。多分、テレビで放送されて、行った気分になっていたのだろう。調べてみると、放映権利の関係で一回こっきりでテープが処分されているとのこと。

行っていない理由の一つに、高校入試の前の2学期、コンサートに行くどころではなかったということもある。それより、この頃(とうより季節の変わり目の秋口はいつも)、重い喘息発作で1ヶ月ほど寝たきりだったことだ。とにかく毎晩苦しかった。そんなこともあり、このころの記憶をすべて曖昧にしていているのだと思う。

ただ、発作で眠れないまま、側に置いてあった、つけっぱなしのラジオから流れたこの一曲が、その後の音楽的嗜好を形作っていると思う。

CREAM “Crossroads”

ナポレオン・ソロ

昨日の夕刊でデビッド・マッカラム氏が亡くなったことを知り、ナポレンソロの相棒、イリヤ・クリアキンのことを思い出した。1965年(昭和40年)、確か小学校6年の時に放映されていたテレビ番組、「0011ナポレオンソロ」まわりの写真や記事の切り抜きを集めている子がいた。実は僕も集めていて、小学校卒業式の日に切り抜き写真の入った箱を交換した。僕の箱には、イリヤの切り抜きしか入っていなかったと記憶している。(僕は不真面目なソロより真面目なイリヤが好きだった)。その子はロバートボーンのファンだったので箱を開けた時どう思ったんだろうか? 当時、大阪に住んでいて父の仕事の都合で卒業と同時に東京に引っ越しした。その友達とは、その後会っていないがどうしているだろう。無事、還暦を通過して古希を迎えているかな?