Water of March

ふとした瞬間に「あぁ、なんか疲れたな」と感じることがある。デジタル・シニアなどと称して、日々AIの最新ニュースを読み漁り、DAWの複雑なルーティングと格闘していても疲れはあまり感じない。しかし、いろいろなことが頭のなかを駆け巡り、分からない不安を感じ、オーバーヒートを起こしかけるときがある。

そんな時、私は決まってある曲にエスケープする。ボサノヴァの至宝、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Water of March(三月の水)」だ。

なぜ、刺激的な音を求めてやまない私が、この淡々とした曲にこれほどまで救われるのだろうか。今回は、この曲が生まれた背景を少し整理しながら、その魔法の正体を探ってみたいと思う。

この曲が誕生したのは1972年。奇しくも私が音楽の深淵にのめり込み始めた時期と重なるが、当時のジョビンは、実は精神的にかなり追い詰められていた。創作の行き詰まり、そして自身の健康への不安。彼はリオの山奥にある別荘に引きこもり、まるで自身の人生を「デバッグ」するかのように、この曲を書き上げたと言われている。

驚くべきは、その歌詞の構造だ。

「泥、川、棒、石、道、結び目、窓、魚、銀色の光……」

そこには高尚なメッセージも、ドラマチックな展開も物語もない。ただ、目の前にある事象が、淡々と「リストアップ」されているだけなのだ。

自宅スタジオで20年間録り溜めた、膨大なアウトテイクのデータに似ている。成功したテイクも、無残に外れた音も、ただそこに「存在」している。ジョビンは、人生の断片(パーツ)を一つずつ拾い上げ、それをサンバの柔らかなビートで繋ぎ合わせることで、混沌とした世界に秩序を与えたのではないだろうか。

ロックやジャズのダイナミズムが「動」のエネルギーなら、この曲は「循環」が生み出す エネルギーだと思う。

音楽的に見れば、同じような旋律がネジを描くように繰り返されるバッハのフーガ曲ような構造を持っている。しかし、重苦しさは微塵もない。複雑なテンション・コードが次々と移り変わる様は、緻密で、それでいて自然界の川の流れのように淀みがない。

「三月の水」とは、ブラジルの夏の終わりに降る、すべてを押し流す激しい雨のことだ。それは「終わり」を意味すると同時に、次に来る季節への更新(アップデート)を意味しているという。

ちなみにジョビンは仕事の過密スケジュールやブラジルの政治状況に疲れ果て、心身ともに消耗していた彼はリオを離れ、郊外の別荘(ポッソ・フンド)に引きこもる。そこで、実際に家の前の道が雨でぬかるみ、小枝や石が流れていく様子を眺めながら、一気にこの曲を書き上げといわれている。

ジョビンと同じ境遇を想像しながら「疲れた」と感じる時、私の脳内は、処理しきれない感情のキャッシュデータで溢れかえっている。この曲を聴くことで、その不要なデータを一度リセットし(なんかキャッシュをクリアするみたい)、頭をクリーンな状態に戻してくれているんだと思う。

ジョビンがリストアップした「石」や「棒」と同じように、私のデスクにあるMacも、使い古したマウスやキーボードも、そして少しばかりガタがきた私の体も、すべてはこの大きな生命の循環の一部なのだと思うと、不思議と肩の荷が降りる。

この曲からはいろいろなことを学んだ。そのことはまたいつか書くとする。

今年もあっっっっという間に一年が過ぎようとしている。来年が元気でいるという保証はなんにもない。でも、いろいろなことを学んだり新たな経験できる一年をまた過ごしたいと思う。

最後にいま一番聴いている「Water of March」をどうぞ。

Josh Turner feat. Martina DaSilva

この曲を聴くうえでのポイント

この曲の最大の特徴は、「終わりがなく、常に循環し続ける」という構造にある。

コード進行(半音の下降)基本的には4小節単位の短いサイクルの繰り返しだ。主音からベースラインが半音ずつ下がっていく「クリシェ」という手法が多用され、まるで「雨水が絶え間なく流れ落ちる」様子を音楽で表現していると言われる。この手法はいろいろと勉強させてもらったし、パクリもした。

リズムは伝統的なボサノヴァのリズムよりも、少し速めのテンポで演奏されることが多い。ブラジル北東部のリズム「バイヨン」の影響も感じられ、単調な繰り返しの中に独特の推進力(グルーヴ)を生んでいる。

メロディの音域は非常に狭く、おしゃべりするように同じ音の高さが続く。これはブラジルの子供たちが歌うわらべ歌のような素朴さを持っており、複雑なコード進行との対比が非常に洗練されている。

イメージの断片が万華鏡のように「小枝」「石」「ガラスの破片」「道の終わり」「木の節」など、脈絡のない名詞が次々と並べられる。これは、ブラジルの激しい雨(三月の水)がすべてを押し流し、道に散らばったゴミや自然の破片が流れていく光景を視覚的に描写した「コラージュ(モンタージュ)」的手法。これもたくさんパクらせていただきました。

ブラジル(南半球)の3月は夏の終わりであり、秋が始まる。激しい雨は夏の終わりを告げ、洪水をもたらす破壊的な側面もあるが、同時にそれは「生命の約束(Promise of life)」、つまり次に来る季節への希望を象徴しているとなんかの本に書いてあった。

この曲が誕生した背景には、ジョビンの心身ともに消耗的な状況が深く関わってることは前にも書いた通り。

1974年のジョビンのアルバム『Elis & Tom』でのエリス・レジーナとのデュエットは、歴史的な名演として知られている。当初、完璧主義のジョビンと情熱的なエリスは対立していたが、レコーディングが進むにつれ意気投合し、最後には笑い合いながら歌う二人の姿が録音に収められている。(このアルバムは必聴)

この雰囲気を醸し出そうとするカバーは実に多く存在する。そんな一例が掲出したJosh Turner feat. Martina DaSilvaの楽しそうなビデオだ。お楽しみください。