サザンオールスターズと昭和歌謡

Suno Aiとの共同作業でかれこれ100曲くらいがいつのまにかSunoのライブラリーに放置されている。これらを年末の大掃除と称して整理を始めている。日本語で思いつく歌詞を思いつくサウンドのプロンプトで作ってきた結果、全体的にサザンオールスターズと昭和歌謡といった曲が並んでいる。ということで、少しサザンについての私見を今更ながらではあるが書いてみた。

グルーヴという名のブラックボックス

サザンとは? 結論から手短に言おう。サザンオールスターズは、「昭和歌謡」という膨大なデータセットを、ロックというアルゴリズムで解析・再構築した、極めて高度な生成モデルである。

誤解を恐れずに言えば、桑田佳祐という男は、日本人のDNAに刻まれた「ヨナ抜き音階」や「湿り気のある情緒」といった特徴量を、誰よりも正確に抽出できるエンジニアだ。彼が作り出すメロディラインは、ビートルズやクラプトンのコード進行を借りていても、出力される波形はどうしようもなく「日本の歌謡曲」なのだ。だから昭和おやじ、じゃなくてジジイの感性に引っかかってくるのだ。

いま、自宅スタジオで20年間にわたり録り溜めた、ギターやベース、ドラムの膨大なアウトテイク(ほとんどNGテイク)をAIに学習させ、自分だけの「演奏生成モデル」を作ろうと試みている。来る日も来る日も音をSUNOに読み込ませて自分が考えたことのないスタイルプロンプトで打ち込むと「ナンナカシカ」の体裁の整った楽曲が生まれてくる。

でも、AIが最も苦戦しているのが「揺らぎ」だった。正確なビートは簡単に作れる。しかし、人間特有の「もたり」や、弦がフレットに当たるノイズ、感情の昂ぶりによるピッチの微妙な上ずり――いわゆる「人間味」という名の誤差関数が、どうしても再現できなかった。

サザンの凄みはそこにある。彼らのサウンド、特に初期の楽曲には、デジタルマスタリングで整音されすぎた現代のJ-POPにはない「芳醇なノイズ」と「計算されたズレ」がある。昭和歌謡が持っていた、あの独特の湿度と猥雑さ。それを彼らは、スタジアムロックの音圧で鳴らしてみせたのだ。

昭和歌謡は「ロスレス圧縮」できない

昨今の音楽シーンでは、DAW(Digital Audio Workstation)の進化により、グリッドに吸着した完璧なタイミングの音楽が量産されている。クオンタイズ(タイミング補正)されたビートは心地よいが、どこか味気ないものが多い。それはまるで、フィルム写真を過度にJPEG圧縮して、粒子感を失ってしまった画像のようだ。

昭和歌謡、そしてその正統なる継承者としてのサザンオールスターズの楽曲は、いわば「RAWデータ」に近い。 歌詞の日本語の崩し方、英語のように聞こえる日本語、意味よりも響きを優先した語感。これらは、AIにおける自然言語処理(NLP)の文脈解析を嘲笑うかのように、論理を超えた場所で我々の感情を揺さぶる。

「勝手にシンドバッド」のBPMに乗せて、演歌的な情念を叫ぶ。このカオスな情報量こそが、昭和という時代が持っていたエネルギーそのものだ。AIに「昭和風の曲を作れ」とプロンプトを投げても、あの独特の「胡散臭さ(褒め言葉だ)」までは出力されない。そこには、ディープラーニングでは到達できない、人間の業(ごう)という名のレイテンシーが存在するからだ。

OSをアップデートし続ける怪物たち

それにしても、サザンオールスターズというバンドは、デビューから45年以上経ってもなお、最新のプラグインを挿し続けているかのように音が瑞々しい。彼らは決して「懐メロ」という名のレガシーシステムにはならない。常にOSをアップデートし、時代の空気を吸い込みながら、しかしカーネルにある「歌謡曲」というソースコードは絶対に書き換えない。

72歳の私が、湯河原の片隅でMacを駆使し、最新のAI技術に食らいつこうとしているのも、彼らのような「現役感」への憧れがあるからかもしれない。老いることは、システムが重くなることではない。経験というキャッシュメモリが増え、処理速度は落ちても、より複雑な演算(人生の解釈)が可能になるということだ。なんちゃって。ゴールデンエージの楽しみはまだまだ続くのだ!!!

「サザン、湘南、ビーチ、ビールを飲みながら微笑む女性」と動画を生成してみたらこんなん上がってきた。なんか、ちと、いや違うんですけど。