OHIOでのお話

これまで何回引っ越しをしただろう? 

生まれてから初めて親元を離れ、一人で生活を始めたのは1976年3月のことだった。秀でた知識や技能もなく、なんと英語もまったく話せず、さらに無謀にもジャーナリストになるための勉強に向かった場所は、アメリカのオハイオ州のかた田舎だった。

最初は留学生がいっぱいいる寮に入ったが、もう少し気ままに生活したくてキャンパスから少し離れた学生向けのサービスアパートメントに移り、約2年ほどお世話になった。キャンパスには遠かったが、アップタウンと呼ばれていた繁華街には近かった。目と鼻の先に中古のレコード屋さんがあり、毎日のように入り浸っていた。

この頃、プリッツルとビール(Stroh’s)で、けっこう太ってしまったことを覚えている。授業についていけず、テープレコーダーを教室に持ち込んで録音、部屋で聴き返すも教授の英語が聞き取れなかった。最近作ったアンビエントのアルバムのなかで、日本に持ち帰ったこのころのテープの一部を効果音として使った。
SONYのカセットデンスケTC-2890SDを見て、いろいろと思い出した。僕はこのテープレコーダーを日本から担いで持ちこんだ。同じフロアーに住んでいる黒人の学生がこのSONYの音のよさにびっくりしていた。聴いていたのは、日本から送ってもらった山下達郎のCircus Townのダビングテープで、その黒人はノリノリに踊っていた。ぜひ、このテープを譲ってくれと懇願されたが、どうしたかは忘れた。              立てかけてあるレコードは、Terence Boylanのアサイラムからのセカンドアルバム(こんなの聴いていたんだ)
ベッドの近くにターンテーブルが置いてある。当時、あまりお金がなかったので、Walgreensというスーパーで買ったものだ。これが結構いい音で再生してくれたが、針圧が重くて、レコードが傷だらけになったっけ。でも、もともと中古なんで、まっ、いいかぁ!ということで活躍してくれた。
1978年12月に日本に戻るべくここを引きはらう。鍵を渡す最後の日に撮影したもの。思い出してみるとAthensは歴史ある町だった。私もごくごく一部に刻んでもらった。

Thanks for “The Fanbikes”

高校の3年間、大学の4年間、アメリカでの2年半、新入社員としての1年、僕の70年代はとても濃い 10年だった。

2023-10-10