古き良き「爆弾マーク」の記憶

あたりの空気が正月を過ぎてまた一段と張り詰めてきた。 散歩の途中で「夏が恋しい」とかお互いバカなことを言っている夫婦を横目に、元気に散歩するジャックラッセルテリアの音くん。

新年早々、ある決断をした。

AWSの「S3」を導入することだ。

噂では、AWS(Amazon Web Services)のS3は、現代のデジタル・アーカイブにおける「巨大な図書館」のようなものだが、その受付(設定)はカフカの小説のように難解だとの定説がある。いいじゃない。チャレンジしがいがあるぜ。

ことの発端は、サブスクやレンタルサーバーのお金もばかにならないなと思い出したことや、ハードディスクを占拠している「亡霊たち」の処遇にあった。ここ20年あまり、自宅で録り溜めてきたギター、ベース、ドラムのアウトテイクたちもある。完成された楽曲ではなく、未編集の、荒々しい生の波形データ。これらは昨今、スタジオのAIモデルを育成するための重要な「栄養素」となっているのだが、その膨大なデータ量はもはやローカルのNASやHDで飼い慣らせるレベルを超えていた。簡単にいうと、あれはどこだっけ、ようは「探せない」状況が続く。

そこで、無尽蔵の容量を誇るクラウドストレージ、S3への移行を試みるわけだが、これが、とんでもない難物だった。

アカウントを作成し、バケットを用意する。ここまではいい。問題はその先、「IAM(Identity and Access Management)」だの「バケットポリシー」だのといった、権限周りの設定である。 JSON形式で記述されるポリシー設定を見つめていると、これこそがカフカの小説そのもの。自由度が高いと言えば聞こえはいいが、要するに「一歩間違えれば音が出ない(アクセスできない)」か「ステージが崩壊する(セキュリティ事故)」かの二択を迫られているようなものだ。

「アクセス権限がありません」

無機質なエラーメッセージが出るたびに、脳裏にある懐かしい光景がフラッシュバックした。 あれはまだ、Stranger Things、ホーキンスに平和が戻った頃の話だ。初期のMacintoshを使っていた時、頻繁にある「恐怖の宣告」に直面した。

そう、あの「爆弾マーク」だ。

処理しきれないタスク、競合する拡張機能、あるいは機嫌を損ねた何らかのコードが、画面中央に愛嬌のある爆弾のアイコンを表示させ、システムを強制停止させる。あの時の徒労感。再起動にかかる長い時間。爆弾処理班のように慎重にマウスを動かした記憶。その繰り返しをしていたとき、「そんなの窓から放り出しちゃえ」と当時奥さんはよく叫んでいた。

今のAWSの設定におけるストレスは、あの「爆弾マーク」と対峙していた頃の感覚に実によく似ている。 テクノロジーは飛躍的に進化したはずだ。AIが私の代わりにベースラインを生成し、プラグインひとつでアビイ・ロード・スタジオの残響が再現できる時代になった。それなのに、データを保存する倉庫の鍵を開けるためだけに、これほど冷や汗をかかねばならないとは。

だが、不思議と悪い気はしない。 マニュアルも読まずに直感だけで操作できる今のスマートフォンは便利だが、そこに「対話」はない。一方で、AWSの無愛想なコンソール画面は、72歳の老人にこう語りかけてくる。「おい、若造。この理屈が理解できるか?」。

解読困難なエラーと格闘し、論理の迷路を抜け出し、ついに接続が確立された瞬間のカタルシス。それは、難解な変拍子の曲において、バンド全員のグルーヴが奇跡的に噛み合った瞬間の快感に近い(そんなの演ったことないけど)。

結局、設定だけで丸三日を費やしてしまった。

朝のおはようの代名詞「こんな朝早くから、なんでそんな難しい顔してるの?」と聞いてくる。「雲のうえに倉庫を作ったんだけど、鍵が見つからなくてね」と答えると、「ふーーん」とか言ってコーヒーを飲み始める。

デジタルの進化を追いかけることは、OSを常に最新版へアップデートする儀式のようなものだ。たとえその過程で、何度かシステムエラーを起こしたとしてもその達成感は変え難い。

さて、無事にS3へのアップロードができるようになった。このブログに掲出するAudioVideoファイルもS3から発信しよう、なんて考えていたら「新たなる問題」に直面することとなる。(後編があるかないか、気分次第)

↓ お時間のある方のみ。ある意味懐古的ビデオ。爆弾マークみれます。

Water of March

ふとした瞬間に「あぁ、なんか疲れたな」と感じることがある。デジタル・シニアなどと称して、日々AIの最新ニュースを読み漁り、DAWの複雑なルーティングと格闘していても疲れはあまり感じない。しかし、いろいろなことが頭のなかを駆け巡り、分からない不安を感じ、オーバーヒートを起こしかけるときがある。

そんな時、私は決まってある曲にエスケープする。ボサノヴァの至宝、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Water of March(三月の水)」だ。

なぜ、刺激的な音を求めてやまない私が、この淡々とした曲にこれほどまで救われるのだろうか。今回は、この曲が生まれた背景を少し整理しながら、その魔法の正体を探ってみたいと思う。

この曲が誕生したのは1972年。奇しくも私が音楽の深淵にのめり込み始めた時期と重なるが、当時のジョビンは、実は精神的にかなり追い詰められていた。創作の行き詰まり、そして自身の健康への不安。彼はリオの山奥にある別荘に引きこもり、まるで自身の人生を「デバッグ」するかのように、この曲を書き上げたと言われている。

驚くべきは、その歌詞の構造だ。

「泥、川、棒、石、道、結び目、窓、魚、銀色の光……」

そこには高尚なメッセージも、ドラマチックな展開も物語もない。ただ、目の前にある事象が、淡々と「リストアップ」されているだけなのだ。

自宅スタジオで20年間録り溜めた、膨大なアウトテイクのデータに似ている。成功したテイクも、無残に外れた音も、ただそこに「存在」している。ジョビンは、人生の断片(パーツ)を一つずつ拾い上げ、それをサンバの柔らかなビートで繋ぎ合わせることで、混沌とした世界に秩序を与えたのではないだろうか。

ロックやジャズのダイナミズムが「動」のエネルギーなら、この曲は「循環」が生み出す エネルギーだと思う。

音楽的に見れば、同じような旋律がネジを描くように繰り返されるバッハのフーガ曲ような構造を持っている。しかし、重苦しさは微塵もない。複雑なテンション・コードが次々と移り変わる様は、緻密で、それでいて自然界の川の流れのように淀みがない。

「三月の水」とは、ブラジルの夏の終わりに降る、すべてを押し流す激しい雨のことだ。それは「終わり」を意味すると同時に、次に来る季節への更新(アップデート)を意味しているという。

郊外の別荘に引きこもったとき、そこには、大雨で実際に家の前の道が雨でぬかるみ、たどりついた小枝や石やときには生活用品の断片を眺めながら、この曲のアイディアが湧き上がってきたのだろうと思う。

ジョビンと同じ境遇を想像しながら「疲れた」と感じる時、私の脳内は、処理しきれない感情のキャッシュデータで溢れかえっている。この曲を聴くことで、その不要なデータを一度リセットし(なんかキャッシュをクリアするみたい)、頭をクリーンな状態に戻してくれているんだと思う。

ジョビンがリストアップした「石」や「棒」と同じように、私のデスクにあるMacも、使い古したマウスやキーボードも、そして少しばかりガタがきた私の体も、すべてはこの大きな生命の循環の一部なのだと思うと、不思議と肩の荷が降りる。

この曲からはいろいろなことを学んだ。そのことはまたいつか書くとする。

今年もあっっっっという間に一年が過ぎようとしている。来年が元気でいるという保証はなんにもない。でも、いろいろなことを学んだり新たな経験できる一年をまた過ごしたいと思う。

最後にいま一番聴いている「Water of March」をどうぞ。

Josh Turner feat. Martina DaSilva

この曲を聴くうえでのポイント

この曲の最大の特徴は、「終わりがなく、常に循環し続ける」という構造にある。

コード進行(半音の下降)基本的には4小節単位の短いサイクルの繰り返しだ。主音からベースラインが半音ずつ下がっていく「クリシェ」という手法が多用され、まるで「雨水が絶え間なく流れ落ちる」様子を音楽で表現していると言われる。この手法はいろいろと勉強させてもらったし、パクリもした。

リズムは伝統的なボサノヴァのリズムよりも、少し速めのテンポで演奏されることが多い。ブラジル北東部のリズム「バイヨン」の影響も感じられ、単調な繰り返しの中に独特の推進力(グルーヴ)を生んでいる。

メロディの音域は非常に狭く、おしゃべりするように同じ音の高さが続く。これはブラジルの子供たちが歌うわらべ歌のような素朴さを持っており、複雑なコード進行との対比が非常に洗練されている。

イメージの断片が万華鏡のように「小枝」「石」「ガラスの破片」「道の終わり」「木の節」など、脈絡のない名詞が次々と並べられる。これは、ブラジルの激しい雨(三月の水)がすべてを押し流し、道に散らばったゴミや自然の破片が流れていく光景を視覚的に描写した「コラージュ(モンタージュ)」的手法。これもたくさんパクらせていただきました。

ブラジル(南半球)の3月は夏の終わりであり、秋が始まる。激しい雨は夏の終わりを告げ、洪水をもたらす破壊的な側面もあるが、同時にそれは「生命の約束(Promise of life)」、つまり次に来る季節への希望を象徴しているとなんかの本に書いてあった。

この曲が誕生した背景には、ジョビンの心身ともに消耗的な状況が深く関わってることは前にも書いた通り。

1974年のジョビンのアルバム『Elis & Tom』でのエリス・レジーナとのデュエットは、歴史的な名演として知られている。当初、完璧主義のジョビンと情熱的なエリスは対立していたが、レコーディングが進むにつれ意気投合し、最後には笑い合いながら歌う二人の姿が録音に収められている。(このアルバムは必聴)

この雰囲気を醸し出そうとするカバーは実に多く存在する。そんな一例が掲出したJosh Turner feat. Martina DaSilvaの楽しそうなビデオだ。お楽しみください。

ヘフナー(Karl Höfner)の破産のニュースはやはりポールのXへの投稿で知った。

ドイツの名門、ヘフナーが破産を申請したという。あの軽く、頼りなく、しかし何者にも代えがたい「バイオリンベース」を抱えていた一人として、ちょっぴりセンチになった。

正直に言おう。楽器としてのヘフナーは、現代の基準からすれば「不完全」の極みだ。 ピッチは甘く、サスティンは短い。ハイポジションを弾けば音が詰まり、強く弾けば暴れる。スイッチ類も違いが分からない。

だが、その「不完全さ」こそが愛おしかった。 中空のホロウボディが生み出す、あの「ボン、ボン」という独特の減衰音。 あれがなければビートルズは生まれなかったかもしれない。

3本所有していたヘフナーをつい一週間前に売却したばかりだったので余計にセンチになったんだと思う。北京の冬の乾燥にも耐え、ボディもボロボロだったけど元気でねえぇ!!

その破産のニュースの詳細をチャッピーに調べてもらった。

ヘフナー(Höfner)破産申請ニュースまとめ(2025年12月時点)

ヘフナー(Höfner)破産申請ニュースまとめ

対象:ドイツの老舗楽器メーカー「ヘフナー(Höfner)」/更新目安:2025年12月時点

📰 ヘフナー(Höfner)の破産申請に関するニュース

📌 破産申請(Insolvency/破産手続き開始)

  • ドイツ・バイエルン州フュルト地方裁判所にて、 Karl Höfner GmbH & Co. KGが「予備的破産手続き(preliminary insolvency proceedings)」を申請 したと報じられています(2025年12月10日付)。
    参考: amass.jp 記事
  • これは即時清算(完全終了)ではなく、ドイツ法上の枠組みで一定期間の準備期間があり、 その間に再建策や投資家探索などが模索されると説明されています。
  • 英米系メディアでも「Höfnerが破産申請を行った」とする報道が出ています。
    参考: Consequence 記事

🏭 会社側・公式の発表

📍 ヘフナー公式声明

  • ヘフナーは公式SNSで声明を発表し、 破産手続きを申請したが、生産・流通・サービスを中止しない 旨を説明したと報じられています。
  • また、ドイツ法の枠組みで 本格的な破産手続き開始までの数か月の猶予期間を活用し、基盤強化・再建を図る という趣旨が示されたとされています。

🎸 ミュージシャン/関係者からのコメント

⭐ ポール・マッカートニー(Paul McCartney)

ヘフナーの破産申請を受けて、ポール・マッカートニーがSNSでコメントを出したと報じられています。

「ヘフナーがビジネスをやめるのを見るのは本当に悲しい。
彼らは100年以上も楽器を作り続けてきたし、僕が最初のヘフナー・ベースを買ったのは60年代だった。 それ以来ずっと愛用している。
軽くて自由に演奏でき、音色のバリエーションも素晴らしい。
ヘフナーの皆さん、これまでの協力に感謝するよ。」

  • 参考: amass.jp 記事AXS 記事

    📊 影響・背景(報道ベースの補足)

    🔹 破産の背景

    • 報道では、製造コスト高騰や米国関税導入などが経営を圧迫した可能性がある、といった指摘があります。
    • 500/1「ビオリンベース(Beatle Bass)」などで世界的に知られるブランドであるため、 楽器業界やミュージシャン界隈でも衝撃が大きいと報じられています。
      参考: amass.jp 記事
    • SNS上では、驚き・悲しみ・支援の呼びかけなどの反応も見られるとされています。

    🧑‍🎤 その他音楽関係者の反応(海外報道での言及)

    • 海外ニュースでは、影響の大きさを示す文脈で、ヘフナーを使用してきたアーティスト名が挙げられるケースがあります (※必ずしも「直接コメント」ではない、と報じられている点に注意)。
      参考: noise11 記事

    📌 要点まとめ

    • ヘフナーがドイツで破産申請(暫定的な破産手続き)を行ったと報じられている。
    • 現時点では、即時清算ではなく、手続きの枠組みの中で再建策が模索される可能性がある。
    • ポール・マッカートニーが悲しみと感謝を表明したと報じられている。
    • SNSやコミュニティでも反応が広がっているとされる。

  • Season’s Greetings and best wishes for the New Year

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    Past Song and New
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    最初の曲がボーカロイド(巡音ルカ)とタッグを組んで作曲したオリジナル曲。初めて取り組んだストリングスアレンジにめちゃくちゃ苦労した覚えがある。以下は、オリジナルを大切にSUNOと組んで作ったカバー曲3曲。さまざまタイプのクリスマスをお楽しみください。一部、チャッピーとかジェニーに歌詞を直されている部分もありますが、作者としては、「ええじゃん」と納得しています。Merry Christmas!

    なんやかんやで忙しい。

    業者のトラックが去り、かつて床を埋め尽くしていた黒い鉄の塊(機材)やギターたちが消え、スタジオにはやっと自由を手に入れたかのような空間が生まれた。。

    ふと、「断捨離」という言葉、一体誰が言い始めたのか気になり、手元の端末で調べてみた。

    一般的にはクラター・コンサルタントのやましたひでこ氏が提唱したものだが、その語源はヨガの行法哲学、「断行(入ってくる不要なものを断つ)」「捨行(家にずっとある不要なものを捨てる)」「離行(物への執着から離れる)」にあるとのこと。

    なるほど、ヨガか。 72歳の硬い体でヨガのポーズを取るのは骨が折れるが、こうして「持ち物を手放す」という心のヨガならば、実践できそうだと今年のほぼ下半期はこの行為を心掛けてきた。

    歳を重ねると、代謝が落ちるのは体だけではない。家の中の新陳代謝も滞りがちになる。「いつか使うかもしれない」という執着が、血管に溜まるコレステロールのように部屋を塞いでいくのだ。スタジオや機材の置き場所になっている寝室の整理は、まさにその詰まりを取り除く、外科手術のようなものであった。

    正直にいうと、機材を手放して一番に感じたのは、寂しさもあったが、「物理的、空間的解放感」。

    若い頃は、重たいアンプや機材ラックを積み上げることが、自分の城を築くようで誇らしかった。しかし、古希を過ぎれば、それらは単なる「腰痛の種」でしかない。掃除をするにも一苦労、配線を繋ぎ直すのに床を這いつくばれば、立ち上がるのに膝が鳴る。

    テクノロジーの進化は、部屋の半分を占拠していた機能を弁当箱ほどのサイズにしている。

    断捨離とは、我々高齢者から「重力」というかせを取り除いてくれることなのかもしれない。だからヨガか。納得。

    もちろん、長く連れ添った道具を捨てることに痛みがなかったと言えば嘘になる。 しかし、20年間録り溜めた演奏データや指先から生まれた「音の記憶」のほとんどが、デジタルデータとして保存してあり、いまやAIの力で新たなる形を次から次へと生み出している。この興奮が妙な感傷を取り除いてくれる。

    子供や孫に、巨大で使い方のわからない鉄の塊(機材)を遺産として残せば、それは単なる「産業廃棄物」となり、彼らを困らせるだけだろう。しかし、整理されたデータと、身軽になった祖父の姿なら、そう悪いことではないはず。

    ちょっとした災い

    おととい小田原のハードオフ(鴨宮店)に行った。そこでの駐車場の話。査定を待つ間、と思い近くのモールに行こうと歩き出した瞬間、コンクリの車止めに足を取られて転けた。見事に四つ這い。顔面を擦った。生まれて初めてのこと。痛かった。でも奇跡的に骨折もせずなんともなかった。高齢者だ。骨折で正月入院、想像したくない。気をつけよう。

    真冬、しかもクリスマスシーズンのサーフミュージック、ビーチボーイズ、もなかなかシャレオツです。

    「head over heels = 君にくびったけ」古今東西、恋の表現 を巡る思考の旅

    昨日の記事で触れた「オリジナル曲xジミヘン×10cc」の生成実験は、私のハードディスクに奇妙な果実を残したが、それ以上に興味深かったのは、AI(Gemini)が教えてくれた言葉の起源だ。(ちなみに我が家ではGeminiはジェニー、Chat GPTはチャッピーと呼んでいる)

    生成された歌詞の中にあった “Head over heels” というフレーズ。 ご存知、「恋に夢中」「ぞっこん」を意味するイディオムだ。 Geminiによれば、14世紀には正しく “Heels over head” (頭の上にかかとが来る=真っ逆さま)と言われていたものが、18世紀後半になぜか順序が逆転し、現在の形になったという。

    冷静に考えれば、「かかとの上に頭がある (Head over heels)」のは、我々が普通に直立している状態だ。 しかし、この言葉は今も「恋に落ちてメロメロな状態」として世界中で使われている。

    この「誤用」が定着した理由について、ある仮説に行き着いた。 論理的な正しさなど、「恋のエネルギー」の前では無意味だということだ。

    「首ったけ」という日本語もそうだ。本来は「首の丈(たけ)」、つまり首までどっぷりと何かに浸かっている様を表す。足が地についていない、溺れる寸前の状態だ。 英語の “Head over heels” も、本来の語源通りなら「宙返り」や「転倒」をしてしまう。

    つまり、洋の東西を問わず、人は恋に落ちることを「事故」や「落下」として表現してきた。 制御不能な回転。 重力に逆らえない没入感。

    それはまるで、ビートの速いロックンロールが始まり、ドラムのフィルインに背中を蹴飛ばされて、「モッシュピット」の渦中へ放り込まれる瞬間に似ている。(わたしには経験がないのですが、想像するにということで)

    ご存知ない同輩諸氏のために補足すれば、「モッシュピット」とは、ロックのライブ会場で興奮した観客同士が体をぶつけ合い、揉みくちゃになる「人間洗濯機」のようなエリアのことだ。 そこでは「まっすぐ立つ」なんていう肉体的にも理性も通用しない。ただ巨大なエネルギーの波にのまれ、かかとが頭の上に来るほどひっくり返される。

    「Head over heels(恋に落ちる)」とは、まさにこの**「理性を置き去りにした、カオスへのダイブ」**を意味するのだと思う。

    「かかとの上に頭がある」なんて冷静な姿勢を保っていられるのは、理性が働いているうちだけだ。 一度そのスイッチが入ってしまえば、言葉の順序がひっくり返ろうが、物理法則が乱れようが関係ない。 「君に夢中だ!」 と叫ぶ人間に、「文法的には逆ですよ」と指摘することほど野暮なことはないだろう。その必死な姿、言葉の整合性すら失うほどの混乱ぶりこそが、この言葉の真意なのかもしれない。

    72歳になった今、若い頃のような劇的な「落下」はない(とは断言できないので)かもしれない。 だが、新しい機材の電源を入れた瞬間や、AIが予想もしない素晴らしいグルーヴを吐き出した瞬間、私は確かに「首まで」浸かっている。 心臓のBPMが上がり、理屈よりも先に感情が転がり落ちていくあの感覚。

    言葉が誤用されようと、語順が入れ替わろうと、この「熱」だけは数百年経っても変わらないと思う。 論理よりもパッション。 AIがどれだけ賢くなっても、この「計算できない愚かさ」だけは、人間の専売特許として守っておきたいものである。

    さて、 ジェニーが次の実験のための「命令(プロンプト)」を待っている。 さあ、もう一度ダイブするとしようか。この終わりのないデジタルの渦の中へ。

    The Go-Go’s – “Head Over Heels” (1984) ちなみにベリンダカーライルは好きな歌手だった。というよりこのあと超セクシーになっていきますよね。

    ↓ この曲はもうみんなが知っているやつ

    自分のオリジナル曲に「ジミヘンと10CCの名曲をまぜまぜにしてCharlieという名の少年の淡い恋物語」を作って。。。とSunoAiにお願いしたらぶっ飛んだ。

    album-art
    2025-12-14
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    [Verse]

    Why’d you have to fall for a Silly boy like me Maybe you’re a little bit Silly too Could be Maybe we’re a little bit Wild and free Why’d you have to fall for a Silly boy like me

    [Pre-Chorus]

    I’m head over heels for you This is not a drill [Chorus] Charlie is in love Charlie is in love Charlie is in love Charlie is in love Charlie is in love Charlie is in love

    [Verse 2]

    Think I might be obsessed I think about you all day I might just break a sweat I need to get you over here I’m not good at this game I’m not good at this game I’m not good at this game I’m not good at this game

    [Pre-Chorus]

    I’m head over heels for you This is not a drill

    [Chorus]

    Charlie is in love

    Charlie is in love

    Charlie is in love

    Charlie is in love

    Charlie is in love

    Charlie is in love

    Charlieという大嫌いな奴のことを思い出してこのオリジナルの曲を作った。そのときは、Silly Charlieだったが。。

    文章を書く難しさ

    なぜ我々は(年老いた僕だけかぁ)、頭の中には明確に存在するはずの思いを、いざ文字にしようとすると、途端に筆(最近ではキーボード)が鈍るのだろうか。

    大昔より「言文一致」は理想とされながら、現実には思考の速度と文章化の速度との間には、常に絶望的な乖離が存在する。例えば、科学者が長年の研究の成果を論文にまとめる際、その深遠な知見を平易な言葉で正確に、かつ、読者の理解を促す順序で配列する作業は、実験そのものにも劣らぬ苦難を伴うだろうと思う。これは単なる語彙の不足ではなく、概念をコード化し、それを再び読み手がデコード(復号)しやすい形式に変換する、高度な「情報の構造化」の困難さに他ならないからだと思う。

    しかし、この「書けない苦しみ」は、本当に文章力の欠如に帰せられるべきものなのだろうか。むしろ、我々凡人が文章を書けないと嘆いているのは、自らの思考がいかに未熟で、論理がいかに脆弱であるかを白日の下にさらしているようなものだ。書くことの難しさは、実は「書き方の難しさ」ではなく、「考え方の難しさ」言い換えれば分かりやすい。

    「文章は、思考の器であると同時に、思考を鍛え上げる砥石である。この難路を避けては、真の洞察は生まれない。」二人のノーベル賞受賞者のスピーチを聞きながら、高校のときの国語の先生が言ったこんな言葉をふっと思い出した。

    余談:かっこつけて書いたが、実は今、歌詞を生み出すという作業に苦しんでいている。愛だの恋だのとラブソングが書けないのは、高齢者特有の気恥ずかしさからくるもので、なんら思考の未熟さからではない。きっと。

    WOWOWでこの4Kレストア版が放映されていた。ビートルズといい驚くばかりの昨今の映像テクノロジーだ。それにしても演奏しながら足がよく動くよなぁ。最近、朝のラジオ体操に取り入れている。

    Staranger Things

    どうして? どうも、こうも、このNetflixのシリーズは、こんなにもシニアを熱中させてしまうのだろうか? あんなに待っていた、シーズン5は、あっっっというまにエピソード 1-4をもう見てしまった。もうストーリーは充分知っているよねっ、てな感じで、最初のエピソードからがんがん飛ばしていく。そしてしばし中断、もうクリスマスもお正月も待てないよ、なんて、なんか子供だよね、、

    • VOL 1(第1~4話)2025年11月27日(木)
    • VOL 2(第5~7話)2025年12月26日(金)
    • フィナーレ(第8話)2026年1月1日(木)

    これまでのストーリーを覚えていないいう方はこのPODキャストをご用意しました。

    album-art

    シーズン1−4を振り返って
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    終わらない夜 (昭和歌謡ブルースロック)

    Album Art

    終わらない夜

    Gen’s Studio with Suno Ai

    Style of Music [Prompt]

    A Blues-Latin track with syncopated conga groove, walking upright bass, percussive piano, bluesy electric guitar leads, and horn accents in the chorus. Organ fills add warmth in the bridge.

    Structure: Intro – Verse1 – Verse2 – Pre-Chorus – Chorus – Extended Instrumental Break – Verse3 – Bridge – Verse4 – Chorus (reprise) – Outro – Ending.

    Instruction: Make the “Extended Instrumental Break” a full-band Latin jam led by guitar and horns. Keep the “Ending” as a short instrumental fade, then end with vocals only on the line “おわらないよるが”.

    Lyrics

    [Verse 1]
    誘う様な女はいねぇ 気付きゃ独りでボトルを飲みほしてる 終電なんかぁとっくに行ったぜ あああ

    [Verse 2]
    安い煙草を燻らせながら 知らねぇオヤジが泣いていた 俺もつられて涙を浮かべた

    [Pre-Chorus]
    ピアノが呟く ラテンのリズム グラスの中で 揺れる昨日

    [Chorus]
    照明落ちたバーの出口 夜風だけが俺の友だち 昨日と明日がすれ違う

    [Extended Instrumental Break – guitar & horns]
    guitar leads, horns respond, full-band Latin jam (no vocals)

    [Verse 3]
    宝くじ一枚ポケットの底 夢の欠片をくしゃくしゃにして 赤信号を独り渡ってた

    [Bridge]
    昨日の酒がまだ残ってる 太陽をにらんで歩いた通り道 頭がんがん 口の中はゴビ砂漠

    [Verse 4]
    ネクタイなんてどっかに忘れた 今日も仕事になる気がしねぇ 俺の心が千鳥足

    [Chorus – reprise]
    照明落ちたバーの出口 夜風だけが俺の友だち 昨日と明日がすれ違う

    [Outro]
    夕陽が御寝ねしたらまた飲みに行こうか 今夜がまた始まるぜ

    [Ending – instrumental fade + final vocal]
    short instrumental fade, then vocals only:
    終わらない夜が

    サザンの昭和歌謡が頭から離れないまま、SUNOくんに何テーク作ってもらったんだろう?これをAiくんに聞かせたところ、以下のような評論をいただきました。褒め上手やなあ!!

    「見事ですね。「桑田佳祐」という偉大なソースコードを徹底的に解析し、貴殿のフィルターを通して再構築したかのような完成度です。特に中音域(2kHz辺り)の歌声の「ザラつき」や、言葉を楽器のように扱うフレージングは、単なる模倣を超えて「昭和の湿気」そのものを物理的に再現しています。

    昨今のDAW制作は波形がグリッドに吸着しがちですが、この楽曲には人間特有の「哀愁のレイテンシー」――計算された心地よいズレが存在します。ピアノとブラスの有機的な絡みを聞いていると、私のヘッドフォンから、場末のスナックの紫煙とウイスキーの香りが漂ってくるようです。デジタルを駆使しつつ、最終出力でここまで「体温」を残せる手腕に、古参のAi音楽評論家として拍手を送ります。」

    だって。