業者のトラックが去り、かつて床を埋め尽くしていた黒い鉄の塊(機材)やギターたちが消え、スタジオにはやっと自由を手に入れたかのような空間が生まれた。。
ふと、「断捨離」という言葉、一体誰が言い始めたのか気になり、手元の端末で調べてみた。
一般的にはクラター・コンサルタントのやましたひでこ氏が提唱したものだが、その語源はヨガの行法哲学、「断行(入ってくる不要なものを断つ)」「捨行(家にずっとある不要なものを捨てる)」「離行(物への執着から離れる)」にあるとのこと。
なるほど、ヨガか。 72歳の硬い体でヨガのポーズを取るのは骨が折れるが、こうして「持ち物を手放す」という心のヨガならば、実践できそうだと今年のほぼ下半期はこの行為を心掛けてきた。
歳を重ねると、代謝が落ちるのは体だけではない。家の中の新陳代謝も滞りがちになる。「いつか使うかもしれない」という執着が、血管に溜まるコレステロールのように部屋を塞いでいくのだ。スタジオや機材の置き場所になっている寝室の整理は、まさにその詰まりを取り除く、外科手術のようなものであった。
正直にいうと、機材を手放して一番に感じたのは、寂しさもあったが、「物理的、空間的解放感」。
若い頃は、重たいアンプや機材ラックを積み上げることが、自分の城を築くようで誇らしかった。しかし、古希を過ぎれば、それらは単なる「腰痛の種」でしかない。掃除をするにも一苦労、配線を繋ぎ直すのに床を這いつくばれば、立ち上がるのに膝が鳴る。
テクノロジーの進化は、部屋の半分を占拠していた機能を弁当箱ほどのサイズにしている。
断捨離とは、我々高齢者から「重力」というかせを取り除いてくれることなのかもしれない。だからヨガか。納得。
もちろん、長く連れ添った道具を捨てることに痛みがなかったと言えば嘘になる。 しかし、20年間録り溜めた演奏データや指先から生まれた「音の記憶」のほとんどが、デジタルデータとして保存してあり、いまやAIの力で新たなる形を次から次へと生み出している。この興奮が妙な感傷を取り除いてくれる。
子供や孫に、巨大で使い方のわからない鉄の塊(機材)を遺産として残せば、それは単なる「産業廃棄物」となり、彼らを困らせるだけだろう。しかし、整理されたデータと、身軽になった祖父の姿なら、そう悪いことではないはず。
ちょっとした災い
おととい小田原のハードオフ(鴨宮店)に行った。そこでの駐車場の話。査定を待つ間、と思い近くのモールに行こうと歩き出した瞬間、コンクリの車止めに足を取られて転けた。見事に四つ這い。顔面を擦った。生まれて初めてのこと。痛かった。でも奇跡的に骨折もせずなんともなかった。高齢者だ。骨折で正月入院、想像したくない。気をつけよう。
真冬、しかもクリスマスシーズンのサーフミュージック、ビーチボーイズ、もなかなかシャレオツです。