どうする?

発端はLogic Pro、10.8をリリースというアップデートニュースを知ったことに始まる。今回のリリースで一番興味を引いたのMastering Assistantで、簡単にミックスをプロ並みにマスタリングしくれるという機能だった。これはすぐにでもアップデートと、App Storeからダウンロードを試みたが何回やってもダメ。ええ??としばらく頭が真っ白になったが、すぐに理由が分かった。僕のマシーンまだOSX12のMontereyでLogic10.8をインストールするOS環境になかったのだ。プラグイン各社の対応状況をみているうちにOSは一気にOSX14のSonomaになっていたのだ。

なんとか手を尽くして、まずはOSXのVenturaを経由すべきだったが、4日くらいソフトメーカーの対応状況をみながらいろいろと考えていたのだが、もう面倒くさい、と後先考えずにSonomaにアップデートしてしまった。ここから始まる不具合調整とプラグインのアップデート調整にもうかれこれ1週間くらい時間を使っている。いまだに新しいバージョンのLogicでトラック作りに着手できていない。

ああ、疲れたなぁという方に、、

備忘録

久しぶりに両親の墓参りに行った。お墓は武蔵野の丘陵地帯にあり、電車で行くことにしたので、神奈川県の西の端から最速で往復するには、念入りな乗車計画が必要だった。

湯河原(東海道線) → 熱海(新幹線こだま)→ 東京(中央特快)→ 立川(青梅線快速) →福生着

これが行きに乗った電車。 湯河原を出たのが8時37分で福生に到着したのが11時07分 二時間半の旅だった。墓参りが終わって、福生の駅で蕎麦でも食べようというこになったが、ふと駅の時刻表を見ると、あと10分で東京行き青梅特快が来ることが分かり、駅のホームへ急いだ。

東京駅に着くと一時を回っていたので、お昼を食べることにした。頭が蕎麦になっていたので、蕎麦屋を探したら、新丸ビルの5Fに良さげなところがあり、そこに行くことにした。「手打ちそば石月」で、天ぷらとだし巻きたまごを肴にビールと日本酒を楽しみ、しめは二人とも「摩赤鶏となめこつけ汁そば」を食す。この店、料理はどれも美味しかったし、コスパがとてもよかった。食後にオアゾの丸善本店に寄り、八重洲まで足をのばし、大丸地下で惣菜を買い求め、帰りの東海道線に乗ったのが、3時半過ぎ。あとは爆睡でよく覚えていない。

ここまで読まれてお気付きかもしれませんが、これは私たちが次回の墓参り、今度は真冬になると思うのだが、そのための備忘録なんです。申し訳ない。

 またこの沼に戻ってきてしまった。

もう必死で這い上がり、二度と戻ってくるもんかと思っていたが、また深く静かに沈んでいく予感がする。たぶん、たぶん、ブラックフライデーが近づいてきたからだと思う。昨日、ラックに必死で隙間を作ろうとしている自分に笑った。

字は下手クソだが、どういう訳か万年筆やボールペン、手帳やノート類などいっぱいある。

文具類の整理は、思い出のしまい場所を探しながらなので時間もかかり苦労する。結局は、整理もつかずもとの場所へ帰っていく。

ボールペンのリフィルを求めて5年ほど前に銀座のモンブランの本店を覗いたことがあった。その時にもらった、BEATLESの小冊子がデザインもよく、大切にとってあった。この冊子は、いったいなんだろうと調べてみると、モンブランのサイトにこんなことが書いてあった。

「Great Character シリーズは、アーティスト、政治家、科学者など、発言、行動、創造したことで世界に足跡を残した人々を称えるものです。したがって、その範囲はビートルズやアインシュタインからジョン・F・ケネディやマハトマ・ガンジーにまで及んでいます。」

  • 2009 – マハトマ・ガンジー
  • 2011 – アルフレッド・ヒッチコック
  • 2013 – アルバート・アインシュタイン
  • 2014 – レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • 2015 – ジョン・F・ケネディ
  • 2015 – アンディ・ウォーホル
  • 2016 – マイルス・デイヴィス
  • 2017 – ビートルズ
  • 2018 – ジェームス・ディーン
  • 2019 – ウォルト・ディズニー
  • 2020 – エルヴィス・プレスリー

2009年から毎年、モンブランなりに選んだモンブラン特別モデル用のアイコンを選定し、そのリミテッドエディションを作っているんだそうだ。コレクターがこぞって買い求めている姿が目に浮かぶ。

僕は、たまたま2017年にモンブランを訪れ、リフィルを買っただけで、この貴重な小冊子を手に入れたんだと思う。デザインも印刷もドイツだし、これ自体も価値がでるんだろう、なんてほくそ笑んでしまった。

ちなみに、21年、22年、23年は誰だろうと調べてみると、

2021年 エンツォ・フェラーリ 2022年 ジミ・ヘンドリックス 2023年今年は、ウオルト・デズニーという顔ぶれ。ジミヘンとモンブランかぁ。

てなんてことをしているから、なかなか片付けが進まないのだろう。

ちなみに、

ペン先にジミヘンドリックスの顔が刻印されている2022年モデル。欲しくなっちゃった。

Athens OHIOにある中古レコードやさんのことをサーチしてみたら、残念ながら6年前の2017年に閉店したことを知った。でも、1976年当時知らなかったことをいろいろと教えてくれた。

AthensOhioにある公共ラジオ放送局が閉店を報じたニュース(ぜひ、GOOGLE翻訳で読んでみてください)

ブログで書いたアパートのすぐ近くにあった中古レコードやさんHaffa’sの話。僕はこのレコードやさんができた翌年の1976年から2年半の間、500枚ほどの中古レコードを買い求めた。記事にあるテリーヒギンズ氏にもいろいろと教えてもらい大変お世話になった。記事に掲出されている当時の写真、特に「今日はどんなレコードが入ってきているんだろう?」とわくわくドキドキしながら降りた階段には、思わずワォーっと叫んでしまった。ヒギンズさんは1982年にAthensを去るが、その後35年も同じ場所にHaffa’sがあったなんて。Haffa’s、、できれば、もう一度訪れてみたかった、、、。

買い求めたときのシールがまだ残っているレコードはないかと探してみたら、あった。Nielsonの “AERIAL PANDEMONIUM BALLET “

ジャケットの右上にまだ貼られていたシール。殆どの中古レコードが1ドル95セントで売られていた。当時の為替で500円くらいの値段、、ちょっと古いカットアウト版は99セント、とにかく安かった。

OHIOでのお話

これまで何回引っ越しをしただろう? 

生まれてから初めて親元を離れ、一人で生活を始めたのは1976年3月のことだった。秀でた知識や技能もなく、なんと英語もまったく話せず、さらに無謀にもジャーナリストになるための勉強に向かった場所は、アメリカのオハイオ州のかた田舎だった。

最初は留学生がいっぱいいる寮に入ったが、もう少し気ままに生活したくてキャンパスから少し離れた学生向けのサービスアパートメントに移り、約2年ほどお世話になった。キャンパスには遠かったが、アップタウンと呼ばれていた繁華街には近かった。目と鼻の先に中古のレコード屋さんがあり、毎日のように入り浸っていた。

この頃、プリッツルとビール(Stroh’s)で、けっこう太ってしまったことを覚えている。授業についていけず、テープレコーダーを教室に持ち込んで録音、部屋で聴き返すも教授の英語が聞き取れなかった。最近作ったアンビエントのアルバムのなかで、日本に持ち帰ったこのころのテープの一部を効果音として使った。
SONYのカセットデンスケTC-2890SDを見て、いろいろと思い出した。僕はこのテープレコーダーを日本から担いで持ちこんだ。同じフロアーに住んでいる黒人の学生がこのSONYの音のよさにびっくりしていた。聴いていたのは、日本から送ってもらった山下達郎のCircus Townのダビングテープで、その黒人はノリノリに踊っていた。ぜひ、このテープを譲ってくれと懇願されたが、どうしたかは忘れた。              立てかけてあるレコードは、Terence Boylanのアサイラムからのセカンドアルバム(こんなの聴いていたんだ)
ベッドの近くにターンテーブルが置いてある。当時、あまりお金がなかったので、Walgreensというスーパーで買ったものだ。これが結構いい音で再生してくれたが、針圧が重くて、レコードが傷だらけになったっけ。でも、もともと中古なんで、まっ、いいかぁ!ということで活躍してくれた。
1978年12月に日本に戻るべくここを引きはらう。鍵を渡す最後の日に撮影したもの。思い出してみるとAthensは歴史ある町だった。私もごくごく一部に刻んでもらった。

Thanks for “The Fanbikes”

高校の3年間、大学の4年間、アメリカでの2年半、新入社員としての1年、僕の70年代はとても濃い 10年だった。

2023-10-10

Monkees

ナポレオンソロのことを考えていたら、同時期に人気だったテレビシリーズのことを思い出した。モンキーズMonkeesは、1968年10月ごろ来日し東京と大阪あと京都でコンサートを行なっている。僕が15歳中学3年の2学期が始まったころだ。どうしても思い出せないのは、「僕は武道館のコンサートに行ったのだろうか」ということだ。生で見た覚えもあるし、いや、行ってない、と、どうも記憶が曖昧だ。多分、テレビで放送されて、行った気分になっていたのだろう。調べてみると、放映権利の関係で一回こっきりでテープが処分されているとのこと。

行っていない理由の一つに、高校入試の前の2学期、コンサートに行くどころではなかったということもある。それより、この頃(とうより季節の変わり目の秋口はいつも)、重い喘息発作で1ヶ月ほど寝たきりだったことだ。とにかく毎晩苦しかった。そんなこともあり、このころの記憶をすべて曖昧にしていているのだと思う。

ただ、発作で眠れないまま、側に置いてあった、つけっぱなしのラジオから流れたこの一曲が、その後の音楽的嗜好を形作っていると思う。

CREAM “Crossroads”

ナポレオン・ソロ

昨日の夕刊でデビッド・マッカラム氏が亡くなったことを知り、ナポレンソロの相棒、イリヤ・クリアキンのことを思い出した。1965年(昭和40年)、確か小学校6年の時に放映されていたテレビ番組、「0011ナポレオンソロ」まわりの写真や記事の切り抜きを集めている子がいた。実は僕も集めていて、小学校卒業式の日に切り抜き写真の入った箱を交換した。僕の箱には、イリヤの切り抜きしか入っていなかったと記憶している。(僕は不真面目なソロより真面目なイリヤが好きだった)。その子はロバートボーンのファンだったので箱を開けた時どう思ったんだろうか? 当時、大阪に住んでいて父の仕事の都合で卒業と同時に東京に引っ越しした。その友達とは、その後会っていないがどうしているだろう。無事、還暦を通過して古希を迎えているかな? 

DVD

映画好きである。サブスクのコンテンツが充実してきたので結構集めたDVDも、さて、いよいよ整理しようかと手をつけ始めた。VHSとか8mmはかなりの量を捨てた。とういか全部。もう動かないハードが押し入れの奥にあり、いちいち中身を確認するのが面倒であったせいもあり、一気にいけたのだろうと思う。さてDVDはどうなるだろうか? ところが蓋をあけてびっくり。中身がないパッケージだけのものが結構ある。これってどういうことだろう。どうしても見たくなり、結局、Prime Videoでレンタルして見てしまった。「フィッシュストーリー」を。